近年、心の教育があまり重要視されてこなかった大きな要因の一つに、戦前の日本は基本的に「大家族」だったことがあげられます。
近所や親戚との関係も大変に密であったので、そういった「豊かな社会関係」の中で育てば自然にバランスのとれた心と体が形成されていました。
つまり、「心と体の健康は家庭や学校でわざわざ意識的に教育しなくても自然に身につくものだ」という社会通念が強かったのです。
ですから、「優秀な子供に育てる」ためにはペーパーテストに合格するための百科事典的暗記力や、スポーツ選手として活躍できるような並み外れた身体能力ばかりが重要視されてきました。
しかしながら、核家族化・少子化という家族形態の変化、また都市化にともなう野原などの遊び場の喪失といったように、子どもを取りまく環境には大きな変化がおこりました。
これは日本に限らず先進諸国においての世界的な傾向でもあります。知識偏重教育の弊害が数多くの深刻な社会問題となって現れはじめ、次第に心の教育や食育の大切さに目を向ける家庭も増えつつあります。(このHPにたどり着かれた皆さまもそのお一人かと思います)
では、心の教育とはいったい何をすることなのでしょうか? どうすれば心を教育できるのでしょうか? またそれはいつごろからおこなえばよいものでしょうか? まだ言葉もわからないように見える0歳児に心の教育などといっても、とうてい理解できないのではないでしょうか?
せめて言葉がしっかり理解できるようになり、話せるようになってからでなければ「心の教育」などといっても現実的ではないだろう、と私たち大人は考えてしまいます。
しかし、それこそが大きな大きな間違いなのです。
赤ちゃん(0歳の時)に、泣くたびにお母さんが抱きあげてくれ、頬ずりしてくれたその経験が心を育てるのです。何度も何度も体をゆすってくれ、抱きあげてくれ、笑わそうと笑顔で語りかけ、相手になってくれたその経験が心を育てるのです。
数多くの愛情あふれる接触とコミュニケーションがお母さんへの愛着(アタッチメント)を心に育みます。この愛着が育ってこそ、その子はこの世が自分にとって好ましい所だと感じる事ができ、まわりの人への信頼が持てるようになり、自分自身への信頼が醸成されるのです。
これは理屈ではなく、脳内のシナプスのネットワークが形成される段階において無意識のうちに刷りこまれてしまうものなのです。
アタッチメント(愛着)が形成され、続いて言葉が発達し、人の心がわかるようになっていく過程では、子どもの知性が人格形成にきわめて大きな影響を及ぼします。
この知性は、その子の本性(本能)が喜ぶ形で育てられなければなりません。無理に言葉を教えたり、机にしばりつけて計算を強いたりといった教育をおこなうと、一見知性が高まったかのように見えますが必ず反動としてのひずみが性格にあらわれます。心の教育とは相反する結果を生む事になります。
人前では行儀よくさせたいと考えて厳しくしつけるようなやり方も同じ結果を招きます。
だからこそ【TOE(タイミングオブエデュケーション)=適期教育】でなければならないと私たちは考えるのです。子どもの心の成長に合わせた適期に子どもの本性に合った、子どもが喜ぶ教育を与えるやり方でなければならないと思うのです。
「子どもの本性に合った子どもが喜ぶ教育」とは何か?それはどうすればできるのか?
それを学んでいただくのがベビーパークです。
乳幼児期から適切な時期に適切な心の教育を与えて、また同時に親も「幸せな家庭教育」を実現するためのコツを学び、子どもとともに成長しよう!というのがベビーパークの心の教育です。